「豊かさ」について友達と議論しました。
友人曰く「ニートこそが豊か」だというのです。
人は誰しも豊かになりたいと思っているから、みんな一生懸命働いているというのに、
その神経を逆なでするような意見です。
労働は国民の義務であって、豊かとかどうとか関係無いのじゃー!
と言いたくなります。
会話の中では、あれやこれやと意見の衝突はありましたが、
改めてネットなどで「豊か」について調べてみると、
ある程度一定の考えに落ち着きます。
それは、「物質的な豊かさ」と「精神的な豊かさ」なのですが、
「ニートが豊かだ」という考え方は、全面的ではないにしろ、
あながち間違いでもないような気がしてきました。
豊かさは「お金」だけではないというのは頷けますが、
豊かの尺度を「お金」で測ることは可能だし、
お金を使うことで物質的には豊かになれます。
ただ、精神的な豊かさは「お金」ではなく「選択肢」が増えること、という意見がいくつかありました。
http://blogos.com/article/44862/http://shibuya-bfsw.blogspot.jp/2012/06/blog-post_2313.htmlhttp://www.ashita-lab.jp/special/432/この考えに則れば、
雇用の上で経済的に恵まれている人は往々にして仕事に忙しく、
仕事によって時間を拘束されることによる行動の選択肢が狭かったりする。
ニートは失業者とは異なり、働けるけど働かないというスタンスを貫いている限り、
そこには選択肢が存在しているわけで、
しかも時間的な自由は多く、豊かであるという考え方もおかしくないと思えてきた。
『ニートの歩き方』という本を無料購読の部分だけkindleで読んでみたところ、
まぁなるほどという部分もある。
ただ、この著者は自らをニートであると言っているが、
ネットを駆使して人とのつながりを作り、自分で収入を作り自活しているので、
このような人間をニートというなら、ネット起業家と変わりはない。
この本を読む限り、ニートの殆どはネット依存であると思われるが、
そのネットで多くの選択肢をもって、その気になればネットで収入を得て、
幸せと思って暮らしているのであれば、それは豊かであるのは否めない。
雇用されるばかりが労働ではないわけですから、
「豊か」を追い求め、自分の時間を省みず、
仕事を頑張り続ける事が100%良いとは思えなくなってきた今日このごろでした。